そこにいるのは誰だ

備忘録と言う奴です。生産性はありません。

運気の話

麻雀をしていると、ごく当たり前のように「流れ」という言葉を耳にします。

つまり「運気の流れ」、好調不調は天運によって左右されているというわけですね。

人によって言うことは色々変わりますが、天運だけではなく人から奪う人運、自力で積み重ねていく地運などがあり、麻雀とはそれらの「流れ」を感じ取りその流れに乗っていく、あるいは流れコントロールしていく競技だ、という考えは実際のところ年配の方を中心に相当根強く存在しています。これは別に麻雀に限った話ではなく、「運命論」というものは世界のあらゆる場所で見かける考え方ですよね。

個人的な考えとしては、「『天運』はないけど卓上での調子の『流れ』は存在するかもしれない」という感じですね。

天から与えられる運に偏りなど存在しません。んなわけないでしょ。今2017年だぞ?2017年にiPhone8で天鳳しながら「流れが~」とか言っているやつは頭がおかしくなってるんじゃないんですか?小学校のころのサイコロの問題で流れとか出てこなかったでしょうが。

 

しかしながら、天から与えられる運の流れはなくても、人間の好調不調の「流れ」は確かに存在する、と思っています。

調子のいいときは視野も広いし勢いもあるから決断がスパッとできる、逆に不調のときは視野は狭くなるし打法に一貫性がないせいでお話にならない。

こういうことは間違いなくあることだと思います。

他人からズバズバあがられたらイライラして調子を崩す事だってある、そういう意味でなら間違いなく「流れ」は存在するんですよね。

必要なのは不調時にもいつもどおりに打てる忍耐力だと思います。

それがないから弱いんですけどね。

だけどガチャはよくわかんない、あれは何かよくわからない何かが作用しているんじゃないのか?

日記 引越し

誰かに見せるための文章を書こう書こうと思っていたら三ヶ月以上何も書くことができなかったので、どうせ誰も見ていないわけだし日記でもいいから毎日何か書いてみようと思って書いてみていますが、ご存知のとおり僕は大変な飽き性ですからどこまで続くかはさっぱりわかりません。

引越しをしました。

駅までの所要時間が1/3くらいになったので大分動きやすくなったと思います。飲みに行きましょう。

さて、僕は勿論引越しがめちゃくちゃに苦手なわけなんですけど、何が苦手かさっぱりわからなかったのでちょっと考えてみました。

大きく分けると

1:やらなければいけない作業が多すぎて全体像が把握できずパニックになりがち

2:決断するのが苦手

3:荷造り、荷解き、片付けなど1工程に時間のかかる作業が多すぎて飽きる

のあたりが主な苦手意識の原因じゃないかということなんですが、じゃあどうすればいいかというと

1→必要な作業を書き出してメモしておく、工程の数を数えておくと達成率がわかりやすい

2→やれ(ここは本当に対策が思いつきません。僕は多動エンジンでガーする以外に決断できたことはほとんどないのでどうすればいいか誰か教えてください。)

3→細かく工程を分けて全体像を把握し、リズムよく片付けられるようにする。

などが考えられますが、問題はこれらを行う気力があるかどうかということですね。

結局必要なのはガッツであり根性であり筋肉なのではないでしょうか。さし当たって必要なのはブログを書くことより筋トレをすることではないでしょうか。

知らない。

個人的な話① 左利きという記号と矯正について

はい僕です。

とりあえずなんか書こうと思ったので時間を決めて書きたいことを書くことにします。

体系的にまとめるようなことがあるとしたらソレは今の僕の仕事ではなく未来の僕の仕事です。

今日は個人的な話をします。

僕にはいくつか多少特徴的なレゴブロック、つまり記号が存在していますが、その中でも一番僕の中で言語化ができている「左利き」という記号について書きます。

 

 ・左利きとは

左利きのことです。正確に言うと手ではなく耳や目、脚などいたるところに「右利き」「左利き」という概念は存在するようで、そしてこれがすべて一致するというわけでもないようなのですが、まとめると「何かの動作をする際に左右二つある身体のパーツのうち左側を多用する人」、より一般的には利き手が左手の人のことを指しますね。

そのうち左利きについてなんかまとめて書きたいな、なんて思いはありますがやらないと思います。

ここでは僕の話をするので一般的な話はこれで終わりです。

僕は左利きです。

いわゆる「自分との対話」(自家発電です)をする時以外のあらゆる動作が身体の左側のパーツによって行われるため、限りなく純粋な左利きと言えるでしょう。

ちなみに何故自家発電は右手でやるのかというと、幼少期初めて邪悪インターネットに接続しエロ信号を受信できるようになった際の使用端末がPSPであり、構造上の問題として左手を端末操作にあてないと画像の拡大縮小、ページ送りなどができなかったからです(十字キー左にあるでしょ)。

マウスを操作する必要性から、自家発電は左手という右利きの方もそれなりにいるとは思いますが僕はその反対で、エロ信号を身体に取り込むときだけは右手が恋人なわけですね。

そんなことはおいておいて、左利きですがそれなりに生きづらいです。

考えてみれば当たり前の話で、右利き中心の世界では必然としてあらゆるイベント、動作、設備が右利き用に最適化されていくわけです。

そんな中で左利きというのは邪魔です。みんなWindowsを使っているのに一人だけMac使ってるようなもので、様々な所作の習得や効率的な作業の実行に支障が出てきます。

自動改札も右手でやらなきゃいけないですし、他人のハサミは使えません(切れない)。手帳型スマホケースなんかは自動ストレス生成装置と化し牛丼屋では自他ともにソウルジェムが濁り、飲食店でよくあるレードルは使いづらく、フォークとナイフは反対向きに直さないと使えないですし、スポーツなんか全然できないのに無駄に期待され(ちなみにアレは教える人がいない場合単なるディスアドバンテージです)、習字の授業は呪詛を唱え続え、もっと根本的な話をするとドアも開けづらくズボンのチャックを閉めるのもストレスなわけです。

考えれば考えるほど世界を破壊したくなってきますね。左利きであるということはそれだけで世界滅びろポイントが溜まっていくファクターであることがよくわかります。(ちなみに眉唾な話なので信じないでほしいのですが、左利きと精神疾患には何らかの相関関係があるんだかないんだかと言われています。ソースちゃんと取ってないんで信じないでください。まあ僕としては世界が憎くなってしまう気持ちはわかります。それに僕自身発達障害当事者ですし完全に否定はできません。できませんが事実確認が取れてないので何とも言えません。)

対して利点はと言うと居酒屋で2分ほど話のネタになる、「左利きだからという理由である程度親しい仲間とご飯を食べる際ある程度意図的に席をコントロールして好きなこの隣に座れる」くらいなもんで、場合によってはその場で年配の人に微妙な反応をされてしまうこともあります。

では左利きは矯正するべきでしょうか?

・左利きは矯正するべきか

ここから真面目な話です。

左利きの児童に対する矯正ですが、僕は「するべきではない」と考えています。

より正確に言えば「子供の意思の確認をせず矯正を強要するのはあまり当人にとっては良くない」という感じですね。

僕自身が当事者ですからある程度断言できますが、左利きというのは生活における損得の観点から見るとマイナスになるケースがほとんどだと思います。

社会から疎まれていると感じてしまうケースもそれなりにあるでしょう。

親として子供が左利きだった場合に心配になってしまうのもよくわかります。「子供が社会でやっていけるように矯正してあげよう」と考えるのは完全な間違いではありません。事実右手が使えたほうが右利き中心の世界においては圧倒的に得です。既存のフォーマットをそのまま使えるというのは計り知れないアドバンテージを生みます。矯正が親心であるという意見をぶった切ることは僕にはできません。

それでも、「持って生まれた要素(つまり記号だとしても本人の一部であるわけです)を非常に近しい関係者である両親に頭ごなしに否定される」というのが幼少期の生育にプラスの影響を与えるのはなかなか難しい、というのは世間的にも同意が取れてきている話だと思います。

幼少期に親から自己を否定されるということが与える悪影響については皆さんよくご存知だと思いますし、そも矯正という行為は大変苦痛を伴う行為なわけで弊害も報告されています。

矯正のせいで親が嫌いになってしまった人、余計に世界を憎んでしまった人の存在は実社会、ネット世界双方でかなりの数が確認されています。皆さんのお子さんがそうならないということはできないのです。(もちろん恨んでない人もいます。そうなる可能性もあります)

以上のことから、仮に皆さんのお子さんが左利きだった際に親であるみなさんが取るべき行動は「左利きであることのデメリットを十分に説明した上で矯正するかどうかを子供の判断に委ねる」だと僕は考えます。

はい、「あ?3-4歳の子供に判断できるかよ」という意見があるのはわかりますが、「最終的な判断は自分がした」ということは意外と覚えているもんです。僕は矯正が嫌すぎて親に泣いて訴えたのを今でも覚えていますし、「僕の意思として左利きで生きる」という宣言をした覚えもあります。

何より繰り返し親に言われたおかげでしっかり実感として自分の中に「僕はこの生き方を自分で選んだんだ」という納得があるわけです。

ですから親に対する不満というのはありません。このある程度不都合な人生は僕の選択の結果であり、僕が折り合いをつけていく僕自身の問題です。

左利きはディスアドバンテージかもしれませんが、しかしそれは決して不良品の烙印ではありません。矯正すれば「正常」になるわけでもありません。左利きに産んでしまったことがあなたの罪だということはありません。

しかし例えば無理な矯正で子供の人生を破壊してしまったとしたら、それは明確に親である皆さんの責任、罪だと言えるでしょう。たとえ親心だったとしてもです。悪意の有無の問題ではないのです。親の発言や行動の一つ一つが子どもを変えてしまう可能性を孕んでいることは十分に理解する必要があります。

十分に社会が成熟した現代において、親の責務は子供を工業製品に加工することではなく豊かに生きるための下地を作ることだと僕は考えます。

選択肢を与えてあげてください。そしてその選択をなるべく尊重してあげてください。左利きであるというのは失敗作であるということではないのです。

左利きであることは確かにマイナス面も多いですが、しかし幸せに生きるなんてのは余裕で可能です。矯正成功して両利きになればそれはそれで良いですし、たとえ左利きのままだったとしても多少チャーミングな特徴があるくらいなもんです。(先の発言と矛盾している気もしますが、僕は本気で世界を憎んでいるわけではないのです)

繰り返しになりますが大事なのは当人の意思であり、納得です。そのために必要なのは将来に対する十分な説明と選択肢、そして親から与えられる肯定です。たくさん肯定してあげてください。それはお子さんを幸せにします。

まとまりませんがこんな感じです。牛丼屋で隣の客が左利きだった際は少しだけ優しくしてあげてください。

15分で書こうと思っていたのに気づいたら1時間かかりました。レポート明日までなのに。

現場からは以上です。頑張りましょう。

 

 

 

 

 

 

あいさつ、定義付け、自己紹介

どうも僕です。今のところ東京の方で大学生などをしています。

長いこと違う名前でTwitterなるものをやっていたわけですけども、心機一転ということで名前を変えてなんか色々やることにしました。

別に名前を変えることに深い意味があるかというとそんなことはなく、砂の城を作っては崩すのが僕のライフワークだからというのが理由でして「なんか散らかってきたな」というのが大意です。一から文脈を作りたくなったのです。

アカウントの使い分けというのがこの世で一番苦手なもんですから多分前のは消します。苦手なので。

この名前で何をするかというと勉強という言葉に集約されます。

自分の意見を整理しきちんと文字にして表すという経験が僕にはあまりなくこれは将来的にマイナスであるなあという漠然とした想いがありまして、恥ずかしがらずに思うところをきちんと文字にする場がほしいという気がしていたのです。

まあ肩の力を抜いて読んでほしいというアレですね。次は自己紹介をします。

自己紹介ですが、概ねTwitterによくいるタイプの人類といった感じです。

記号的な属性としては男、左利き、斜視、ADHD、ポジティブなどが挙げられており、以上の項目で僕を8割ほど説明できます。

つまりありきたりであり、特筆すべき異能などはありません。余ったレゴブロックで組んだ不格好な何かが僕といった感じですね。

自虐的な言葉が並びんでいますが僕は自分をあまり悲観していません。なんとかなるだろというスピリッツ、無根拠な自己肯定感が基本的に

強く存在しており、おそらくそれが僕の良いところなのでしょう。

僕からは以上です。がんばってください。