そこにいるのは誰だ

備忘録と言う奴です。生産性はありません。

個人的な話① 左利きという記号と矯正について

はい僕です。

とりあえずなんか書こうと思ったので時間を決めて書きたいことを書くことにします。

体系的にまとめるようなことがあるとしたらソレは今の僕の仕事ではなく未来の僕の仕事です。

今日は個人的な話をします。

僕にはいくつか多少特徴的なレゴブロック、つまり記号が存在していますが、その中でも一番僕の中で言語化ができている「左利き」という記号について書きます。

 

 ・左利きとは

左利きのことです。正確に言うと手ではなく耳や目、脚などいたるところに「右利き」「左利き」という概念は存在するようで、そしてこれがすべて一致するというわけでもないようなのですが、まとめると「何かの動作をする際に左右二つある身体のパーツのうち左側を多用する人」、より一般的には利き手が左手の人のことを指しますね。

そのうち左利きについてなんかまとめて書きたいな、なんて思いはありますがやらないと思います。

ここでは僕の話をするので一般的な話はこれで終わりです。

僕は左利きです。

いわゆる「自分との対話」(自家発電です)をする時以外のあらゆる動作が身体の左側のパーツによって行われるため、限りなく純粋な左利きと言えるでしょう。

ちなみに何故自家発電は右手でやるのかというと、幼少期初めて邪悪インターネットに接続しエロ信号を受信できるようになった際の使用端末がPSPであり、構造上の問題として左手を端末操作にあてないと画像の拡大縮小、ページ送りなどができなかったからです(十字キー左にあるでしょ)。

マウスを操作する必要性から、自家発電は左手という右利きの方もそれなりにいるとは思いますが僕はその反対で、エロ信号を身体に取り込むときだけは右手が恋人なわけですね。

そんなことはおいておいて、左利きですがそれなりに生きづらいです。

考えてみれば当たり前の話で、右利き中心の世界では必然としてあらゆるイベント、動作、設備が右利き用に最適化されていくわけです。

そんな中で左利きというのは邪魔です。みんなWindowsを使っているのに一人だけMac使ってるようなもので、様々な所作の習得や効率的な作業の実行に支障が出てきます。

自動改札も右手でやらなきゃいけないですし、他人のハサミは使えません(切れない)。手帳型スマホケースなんかは自動ストレス生成装置と化し牛丼屋では自他ともにソウルジェムが濁り、飲食店でよくあるレードルは使いづらく、フォークとナイフは反対向きに直さないと使えないですし、スポーツなんか全然できないのに無駄に期待され(ちなみにアレは教える人がいない場合単なるディスアドバンテージです)、習字の授業は呪詛を唱え続え、もっと根本的な話をするとドアも開けづらくズボンのチャックを閉めるのもストレスなわけです。

考えれば考えるほど世界を破壊したくなってきますね。左利きであるということはそれだけで世界滅びろポイントが溜まっていくファクターであることがよくわかります。(ちなみに眉唾な話なので信じないでほしいのですが、左利きと精神疾患には何らかの相関関係があるんだかないんだかと言われています。ソースちゃんと取ってないんで信じないでください。まあ僕としては世界が憎くなってしまう気持ちはわかります。それに僕自身発達障害当事者ですし完全に否定はできません。できませんが事実確認が取れてないので何とも言えません。)

対して利点はと言うと居酒屋で2分ほど話のネタになる、「左利きだからという理由である程度親しい仲間とご飯を食べる際ある程度意図的に席をコントロールして好きなこの隣に座れる」くらいなもんで、場合によってはその場で年配の人に微妙な反応をされてしまうこともあります。

では左利きは矯正するべきでしょうか?

・左利きは矯正するべきか

ここから真面目な話です。

左利きの児童に対する矯正ですが、僕は「するべきではない」と考えています。

より正確に言えば「子供の意思の確認をせず矯正を強要するのはあまり当人にとっては良くない」という感じですね。

僕自身が当事者ですからある程度断言できますが、左利きというのは生活における損得の観点から見るとマイナスになるケースがほとんどだと思います。

社会から疎まれていると感じてしまうケースもそれなりにあるでしょう。

親として子供が左利きだった場合に心配になってしまうのもよくわかります。「子供が社会でやっていけるように矯正してあげよう」と考えるのは完全な間違いではありません。事実右手が使えたほうが右利き中心の世界においては圧倒的に得です。既存のフォーマットをそのまま使えるというのは計り知れないアドバンテージを生みます。矯正が親心であるという意見をぶった切ることは僕にはできません。

それでも、「持って生まれた要素(つまり記号だとしても本人の一部であるわけです)を非常に近しい関係者である両親に頭ごなしに否定される」というのが幼少期の生育にプラスの影響を与えるのはなかなか難しい、というのは世間的にも同意が取れてきている話だと思います。

幼少期に親から自己を否定されるということが与える悪影響については皆さんよくご存知だと思いますし、そも矯正という行為は大変苦痛を伴う行為なわけで弊害も報告されています。

矯正のせいで親が嫌いになってしまった人、余計に世界を憎んでしまった人の存在は実社会、ネット世界双方でかなりの数が確認されています。皆さんのお子さんがそうならないということはできないのです。(もちろん恨んでない人もいます。そうなる可能性もあります)

以上のことから、仮に皆さんのお子さんが左利きだった際に親であるみなさんが取るべき行動は「左利きであることのデメリットを十分に説明した上で矯正するかどうかを子供の判断に委ねる」だと僕は考えます。

はい、「あ?3-4歳の子供に判断できるかよ」という意見があるのはわかりますが、「最終的な判断は自分がした」ということは意外と覚えているもんです。僕は矯正が嫌すぎて親に泣いて訴えたのを今でも覚えていますし、「僕の意思として左利きで生きる」という宣言をした覚えもあります。

何より繰り返し親に言われたおかげでしっかり実感として自分の中に「僕はこの生き方を自分で選んだんだ」という納得があるわけです。

ですから親に対する不満というのはありません。このある程度不都合な人生は僕の選択の結果であり、僕が折り合いをつけていく僕自身の問題です。

左利きはディスアドバンテージかもしれませんが、しかしそれは決して不良品の烙印ではありません。矯正すれば「正常」になるわけでもありません。左利きに産んでしまったことがあなたの罪だということはありません。

しかし例えば無理な矯正で子供の人生を破壊してしまったとしたら、それは明確に親である皆さんの責任、罪だと言えるでしょう。たとえ親心だったとしてもです。悪意の有無の問題ではないのです。親の発言や行動の一つ一つが子どもを変えてしまう可能性を孕んでいることは十分に理解する必要があります。

十分に社会が成熟した現代において、親の責務は子供を工業製品に加工することではなく豊かに生きるための下地を作ることだと僕は考えます。

選択肢を与えてあげてください。そしてその選択をなるべく尊重してあげてください。左利きであるというのは失敗作であるということではないのです。

左利きであることは確かにマイナス面も多いですが、しかし幸せに生きるなんてのは余裕で可能です。矯正成功して両利きになればそれはそれで良いですし、たとえ左利きのままだったとしても多少チャーミングな特徴があるくらいなもんです。(先の発言と矛盾している気もしますが、僕は本気で世界を憎んでいるわけではないのです)

繰り返しになりますが大事なのは当人の意思であり、納得です。そのために必要なのは将来に対する十分な説明と選択肢、そして親から与えられる肯定です。たくさん肯定してあげてください。それはお子さんを幸せにします。

まとまりませんがこんな感じです。牛丼屋で隣の客が左利きだった際は少しだけ優しくしてあげてください。

15分で書こうと思っていたのに気づいたら1時間かかりました。レポート明日までなのに。

現場からは以上です。頑張りましょう。